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UNDER A BREATH

「さあ、ここらでひとつ立ち止まろう」
そんな声とも言えない囁きが聞こえ始めたのは、いつの頃からだったか。
じっと自らの心の中を覗き見ると、小さい染みのような不安が根付いていることに気付かされる。特に思い当たる理由はない。日常の雑事に紛れていると、そんな小さな不安の存在は忘れているのだが、夕暮れ時、何気なく見上げた空の雲に不安が疼くことがある。遠くから聞こえる少年野球チームの練習する声に、胸がつまるような悲しみが湧くことがある。陽はとっくに沈んでいるのに、じっとうつむいて畑を打ち続ける農夫の背中に、抱きしめたくなるような切なさを感じることがある。
生命が終盤にかかった私の感傷なのか。
「もういいのではないか」
そんな声とも言えない囁きが聞こえ始めたのは、いつの頃からだったか。
ひたむきであることから遠ざかって、長い年月が過ぎた。ひたむきであることから生じる焦燥感から逃れようとした。しかし、焦燥感と入れ代わるようにして、私の心には、悲しみと不安が居着いてしまったのだ。
人が生命を背負った生物である限り、この悲しみと不安からは、逃れようがないのかも知れない。やっかいなものを背負ってしまったと思うが、決して悪い気はしない。何やら世間が愛おしく思えてくるのである。私は、そろそろ58歳になる。
「地球も同じ悲しみと不安を秘めた星」とは、誰の言葉だったか。
こいつは、今年46億歳になったそうだ。