Photo Story
水俣・厳存する風景
新たに水俣病の認定申請をしている被害者が、4000人を超えたと聞いた。今年(2006年)は「水俣病公式確認から50年」になる。環境省を始めとする行政は、5月1日に大々的な慰霊祭とイベントを、小池環境大臣も出席して水俣湾埋め立て地で行った。
しかし、水俣病の病像は、医学界でまだ議論のあるところだ。水俣病事件の被害は不知火海一帯、被害者20万人に及ぶと言われているが、まだその裾野は輪郭を現していない。そんな状況の中で、行政が水俣病事件の幕引きを画策しようとしても、丸く収められる訳がない。
私は、1978年(昭和53)12月に初めて、水俣を取材のために訪ねた。それから2年間は水俣で暮らし、宮崎に移住して以後26年間余、折に触れて水俣で撮影を続けてきた。先日機会があって調べてみたら、すでに4万枚以上の写真を撮っていることが分かった。4万枚もの写真を撮って、水俣病事件の本質に少しでも近づいているのか確信は持てないが、被害の実態に迫ることを意識しながら、不知火海沿岸で暮らす人びとと風土の魅力を伝えていきたい。この魅力的な「厳存する風景」こそが、水俣病事件が奪い取った被害の本質であると思うからである。