Photo Story
土呂久・輝く闇
私は、1973年(昭和48)7月に初めて土呂久を訪ね、それ以後、被害者の病状や集落の日々の暮らしを取材させてもらっている。
土呂久鉱毒事件の「闇の記憶」を取材するのはもちろんだが、戦後の高度経済成長の中で育ち、物質文化に翻弄されていた私のレンズが向かう先は、いつしか、自然の懐の中で魅力的な暮らしを営む土呂久の「輝く日常」となっていた。
私は、1973年(昭和48)7月に初めて土呂久を訪ね、それ以後、被害者の病状や集落の日々の暮らしを取材させてもらっている。
土呂久鉱毒事件の「闇の記憶」を取材するのはもちろんだが、戦後の高度経済成長の中で育ち、物質文化に翻弄されていた私のレンズが向かう先は、いつしか、自然の懐の中で魅力的な暮らしを営む土呂久の「輝く日常」となっていた。